2013年6月16日日曜日

松下佳成さんを偲んで〜モータースポーツとマン島TTと文化〜

2013年5月27日マン島TTの予選中に松下佳成選手が亡くなりました。
ご遺体は昨日(6月15日)帰国、葬儀の日程も決まったとのこと。
事故からしばらく、いろいろと考えたことをちょっと記しておきたいと思います。

松下佳成さんといえば「走って喋れるモータージャーナリスト」としてレースに出場するだけではなく、サーキットやモーターサイクルショウなどのイベントブースでの司会や、筑波サーキットの場内実況アナウンサーなどもされていました。
直接の面識はなかったのですが、サーキットで見かけたときにあいさつすると、ニコニコと返してくれたことを思い出します。
ボクは、松下さんのことをとても魅力的なおっさん(同い年だけど…)と思っていた一方で、なんというか、一種のアウトロー的な雰囲気もあってちょっと危なっかしさを感じてもいたんですね。

5月28日の朝、事故のニュースを知ったときのショックはとても大きかったと同時に、「来るべき時が来たか…」という思いもあったのは否定できません。

そもそもボクはマン島TTを含む公道レースに対して否定的です。やはりモータースポーツとしてのレース競技は安全面の考慮がなされたクローズドコースにて行われるべきだと思っています。

そのマン島TTに積極的に関わっているという点で、松下さんを手放しで応援できない自分がいたような気がします。
しかし、西村章さんの記事にこう書かれていました。
松下さん曰く、
「公道レースはモータースポーツだとは思っていませんよ」
これを読んで、西村さん同様にボクもいろいろと腑に落ちました。
彼が自らを「冒険家」と言っていたのはこういうことだったのかと…。
マン島TTに挑み続けた松下さんの気持ちが少しは理解できたような気がしました。

さて、マン島TTを差してヨーロッパでモーターサイクルが文化として根付いている証左であると語られることは良くあります。つまり一般の人々にも広く認知され、受け入れられているということですね。
しかし、毎回のように死亡事故が発生するマン島TTが抵抗なく受け入れられているというのはどういうことなんだろうか、と疑問に感じていました。
そしていろいろと考えている中ではたと気付きました。我が国にも毎回のように死者が出る「文化」行事があるんですよね。
それは岸和田のだんじり祭であったり、諏訪大社の御柱祭であったり。これらはもともと宗教的行事であるという違いはありますが、いずれも死亡事故をはらむ危険な行為であると認識されているにもかかわらず、中止されることなく続けられているという点において共通点があるわけです。文化として受け入れられているということはこういうことなのかもしれません…。
なんとなくマン島TTの存在意義がわかったような気がしてきました。

いずれにしても、日本のモータースポーツ界にとって松下さんを失ったことによる損失は計り知れません。とても残念です。

最後に松下さんの生前のご活躍をたたえると共に、ご冥福をお祈りいたします。

2012年鈴鹿8耐にて

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