2013年6月23日日曜日

小林秀雄の言葉

新潮新書が10周年ということで「創刊10周年フェア」が主要書店で開催中です。
フェア対象書の購入者に『小林秀雄の言葉』という新書サイズのノートが無料配布されています。

中綴じ30頁ほどのチープな冊子なんですが、見開き右側の欄外下部にタイトル通り、小林秀雄さんの言葉が出典と共に記載されています。
これが面白いんですね。

「自己嫌悪とは自分への一種の甘え方だ、最も逆説的な自己陶酔の形式だ。」(「現代文学の不安」1932年6月、30歳) 
「喜びを新にするには悲しみが要り、信を新たにするには疑いが要る。」(「好色哲学」1950年7月、48歳) 
「自分自身を守ろうとする人間から、人々は極く自然に顔をそむけるものである。」(1958年4月、56歳) 
「批評とは人をほめる特殊の技術だ……」(「批評」1964年1月、61歳) 
「焼き物は、見るものではない、使うものだ。」(「信楽大壺」1965年3月、62歳) 
「プライヴァシーなんぞ侵されたって、人間の個性は侵されはしない……」(1974年1月、71歳)

興味を持たれた方は、書店の店員さんに聞いてみてくださいね。
ちなみに新潮新書の対象書には「創刊10周年」の文字が印刷された帯が掛けてあります。

2013年6月16日日曜日

鎌倉・明月院に行ってきました。

昨日(6月15日)、北鎌倉にある明月院に行ってきました。「あじさい寺」として有名なお寺ですね。
ここ数日は雨が続いていましたが、この日は時々晴れ間ものぞく梅雨の中休みのような一日でした。

あじさいの時期なので混雑は覚悟していましたが、案の定、10時過ぎに最寄りの北鎌倉駅に着いたときは駅から出場するのに行列が出来るほどでした。

明月院は北鎌倉駅から徒歩10分ほど。
線路脇の通りから明月院通りに入って一番奥にあります。

この時期の拝観料は500円。(通常期は300円)
入場待ちの行列は出来ていましたが、予想していたよりは少なかったですね。

明月院のあじさいは、在来種の姫あじさいがほとんどとのこと。

見所の一つ、本堂の円窓。向こう側の後庭園が見えます。


後庭園は別途500円の拝観料が必要ですが、せっかくなので入ってみましょう。

後庭園側から見た本堂はこんな感じ。
 

前庭は人がいっぱいですが、後庭園はゆったりとしています。
500円払う価値は十分にあると思います。
 

この日の撮影機材はPENTAX K-5とFA77mm、DA21mm
それにOLYMPUSのコンデジXZ-1を持っていきました。

同じあじさいを撮り比べてみました。

PENTAX K5+FA77 F1.8 Limited
PENTAX K-5+DA21mmF3.2AL Limited
OLYMPUS XZ-1
同じカメラでもレンズの違いで色味が若干違ってくるのが面白いですね。
(追記:よく見ると77mmと21mmの写真は違うあじさいのようですね。どおりで色味が違います…(笑))
あと、コンデジのXZ-1が思いのほか良く撮れてます。スナップならこれだけで十分ですね。
お地蔵さまシリーズ
赤地蔵さま
青地蔵さま
花想い地蔵さま
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松下佳成さんを偲んで〜モータースポーツとマン島TTと文化〜

2013年5月27日マン島TTの予選中に松下佳成選手が亡くなりました。
ご遺体は昨日(6月15日)帰国、葬儀の日程も決まったとのこと。
事故からしばらく、いろいろと考えたことをちょっと記しておきたいと思います。

松下佳成さんといえば「走って喋れるモータージャーナリスト」としてレースに出場するだけではなく、サーキットやモーターサイクルショウなどのイベントブースでの司会や、筑波サーキットの場内実況アナウンサーなどもされていました。
直接の面識はなかったのですが、サーキットで見かけたときにあいさつすると、ニコニコと返してくれたことを思い出します。
ボクは、松下さんのことをとても魅力的なおっさん(同い年だけど…)と思っていた一方で、なんというか、一種のアウトロー的な雰囲気もあってちょっと危なっかしさを感じてもいたんですね。

5月28日の朝、事故のニュースを知ったときのショックはとても大きかったと同時に、「来るべき時が来たか…」という思いもあったのは否定できません。

そもそもボクはマン島TTを含む公道レースに対して否定的です。やはりモータースポーツとしてのレース競技は安全面の考慮がなされたクローズドコースにて行われるべきだと思っています。

そのマン島TTに積極的に関わっているという点で、松下さんを手放しで応援できない自分がいたような気がします。
しかし、西村章さんの記事にこう書かれていました。
松下さん曰く、
「公道レースはモータースポーツだとは思っていませんよ」
これを読んで、西村さん同様にボクもいろいろと腑に落ちました。
彼が自らを「冒険家」と言っていたのはこういうことだったのかと…。
マン島TTに挑み続けた松下さんの気持ちが少しは理解できたような気がしました。

さて、マン島TTを差してヨーロッパでモーターサイクルが文化として根付いている証左であると語られることは良くあります。つまり一般の人々にも広く認知され、受け入れられているということですね。
しかし、毎回のように死亡事故が発生するマン島TTが抵抗なく受け入れられているというのはどういうことなんだろうか、と疑問に感じていました。
そしていろいろと考えている中ではたと気付きました。我が国にも毎回のように死者が出る「文化」行事があるんですよね。
それは岸和田のだんじり祭であったり、諏訪大社の御柱祭であったり。これらはもともと宗教的行事であるという違いはありますが、いずれも死亡事故をはらむ危険な行為であると認識されているにもかかわらず、中止されることなく続けられているという点において共通点があるわけです。文化として受け入れられているということはこういうことなのかもしれません…。
なんとなくマン島TTの存在意義がわかったような気がしてきました。

いずれにしても、日本のモータースポーツ界にとって松下さんを失ったことによる損失は計り知れません。とても残念です。

最後に松下さんの生前のご活躍をたたえると共に、ご冥福をお祈りいたします。

2012年鈴鹿8耐にて